治水の要と明治の遺構
淀川大堰と重要文化財淀川旧分流施設
日本の近代的河川改修は明治時代に淀川から始まりました。
明治の「淀川改良工事」では大阪市中心部を洪水から分離するため守口から大阪湾まで約16kmの「新淀川」を開削し、大阪市内と新淀川の分岐点に毛馬洗堰と毛馬閘門を設けました。
現在その機能は、後継施設である淀川大堰他毛馬施設に切り替わりましたが当時の施設はわが国で初めて大型機械を導入して実施された「淀川改良工事」の代表的な遺構として、近代河川史上、高い価値があるとして重要文化財に指定されています。
淀川河川事務所では「淀川大堰のしくみと淀川の歴史が学べます」として現地で淀川大堰と明治の遺構を巡り淀川の治水について考える団体説明(要予約)を実施しています。